Morrissey 虐められっこの晴れ舞台、あるいはオナニストの逆襲
武道館で彼に会えるとは思っても見なかった。
花を片手に泣きじゃくるちょっと暗めで地味な女の子。「おいおい、これってギャグじゃなかったの?」
何でも表現になることを教わった80年代、最後の(アンチ)ヒーローはやっぱりちょっとダサかったけど、立派にやりおおせた。何となく誇らしいような気恥ずかしいような気分。いずれにせよ後戻りはできない。
2003.03.30

Mercury Rev 音楽が終わった後に奏でられる音楽
夕暮れのハイウェイ。始まりも終わりもない。
神様に宛てた人々の願いがしたためられた手紙はちぎれて宙を舞っている。昔も今もこれからも、すべての物事に何の意味もない。だとしても、だからこそ、全てが愛おしいのかもしれない。
ニヒリズムの向こう側で永遠に鳴り続ける音楽。
2003.03.30

Echo & The Bunnymen ある日ある時あるところで輝くということ
"Ocean Rain"
拙い若者の徒手空拳の試み。音楽に於ける科学融合がもたらす奇跡。二度と取り戻せない至高点。残酷?たぶん。
でもこれは全ての命に於いて起こること。ただ輝きが強すぎただけ。その後の彼等が作り出したものが良質であることを否定するべきでもない。
"Crocodiles"以降、積み上げた塔は崩れ落ちた。悲しい事故。それが原因とも言い切れない。兆しはあったのだから。
彼等は確かにある日あるところで輝いていた。その記憶が有る限り彼等に対する思いは消えない。
2003.03.30

Patti Smith 醜いということ美しいということ
おおよその人はおそらく、美しいものを好み、自らも美しく有りたいと思うだろう。
美とは?
暖かく優しいもの?気高く崇高なもの? 原初においては生命に力を与えるものであったろう。
では醜いということは?
忌わしいもの、忌避されるべきものであったろう。
"WAVE"のジャケットに映る彼女は語りかける「ワタシキレイ?」
美醜をこえた美がこの世に有ることを知る。
2003.03.25

Moby 2000年代のパンク
Animal Rightsを聴くまでは単なるテクノバンドと思っていた。
ROCKは80年代までにあらかたやり尽くされ、新しいものはもう出て来ないのかも知れない。
それでも音楽は続く。PUNKはこのような形で受け継がれていくのだろうと思う。
勝手な思い込み、 悪あがきだとしてもそれはかまわない。
2003.03.24

The Doors 太陽を待ちながら

70年代、世界は終末感に満ちていた。
エネルギー危機「このままでは地球の資源は後30年で枯渇する」公害問題「やがて人々は死に絶える」あの頃と今で変わったことは多いような気もするし、何も変わっていないのかも知れない。
いずれにせよ人も地球もいつかは滅びる。それがいつなのかは分からないけど、それに加担していない人間などいない。自分の手がよごれていないと思える人は幸せかも知れない。想像力が人を救いもし、苦しめもする。
始まりがThe End。
産まれた時にピークを迎え、それでも人生は続く。
鏡に移る自分の姿。若くしてドラッグで死ぬことに意味なんか無い。

2003.03.24

Joy Division 気がついた時には終わっていたことについて
ニュー・オーダーがなければ見過ごされていたのかも知れない。
彼等の荒々しさ、つたなさ、そして表現しようとしたものは通常の基準からすればおそらく埒外であろう。
音楽を聴くことによって落ち込みたいひとはあまりいない。
表現には制約が無いことを彼等は訴える。自死が彼の最後の自己表現だったという見方は80年代にあってはもはや陳腐に過ぎるように思えた。それでもそれが彼にとっての帰結店であったことは事実でも有る。
残されたものは気がついた時にはすでに終わっていたものを発見し、言葉を失う。
廃屋で古い日記を見つけ、そこで苦悩する人はすでにこの世にいないことに気がつく。そんな音楽。
2003.03.24

Bauhaus オリジナルにエピゴーネンが優るということ
ボウイやボランがこんなにかっこいいとは気がつかなかった。
ポストモダンなあの時代をこれほど見事に体現したバンドも無いように思える。
もちろん彼ら自身のオリジナルも充分な輝きを持っていたし、ボウイやボランの輝きが褪せたわけでも無い。しかし彼等のオリジナル曲、彼等がカバーしたオリジナル曲をこえて彼等のカバーバージョンは輝きを放っていた。様々な信仰が崩壊した80年代。自分にとってのオリジナル信仰も消えた。オリジナルあってのものという意味でのリスペクトは残ったけど。
2003.03.24